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【体験談】挫折を乗り越え栄光を手にした体験談を語ります〜vol.2〜

バスケ

    こんにちわ、こーじです。   前回の続きです。   vol.1をご覧になってない方は、 まずこちらの記事を読んでみて下さい。     https://blog-koji-fun.com/archives/292     (引退してから数ヶ月後)   気持ちも落ち着き、 楽しく学校生活を過ごせるようになっていた。     この数ヶ月は本当に悲惨だった。   朝起きる→学校行く→治療行く→帰宅→ゲーム三昧→寝る     この繰り返しの毎日。 生きる意味をなくしていた。 ゲームは好きじゃなかった。 でも、心にポッカリ空いた穴を埋めたくてやっていた。 親も心配してくれたが、無反応だったと思う。 今では、 この経験が財産と思ってるから本当に感謝している。   ただ、当時はそうは思えなかった。 心が未熟で受け入れきれなかった。 数ヶ月で立ち直れたのは本当に良かった。   いつも通り学校に行き、 友人と話していたときだった。   友人「こーじって時間あったりする?」 自分「あるよ。部活辞めちゃったから」 友人「知り合いのお店がバイト探してるんだけど興味ある?」 自分「やってみたいかも!」   アルバイトのお誘いだった。     経験はなかったけど、 新しいことにチャレンジできる事にワクワクしていた。   自分「どんなバイトなの?」 友人「デパ地下のコロッケ屋さん」 自分「やったことないけど大丈夫かな?」 友人「俺もたまに働いてるから教えてあげるよ」 自分「それなら安心かも」   こうして、 放課後にアルバイトを始めることになった。 (アルバイト当日)     家からアルバイト先まで自転車で20分。 バスでも20分くらいでいけるのだが、 僕は台風の日でも自転車で通った。 自分「今日からよろしくお願いします!」 店長「よろしくね!分からないことあればなんでも聞いてね」 自分「はい!」   優しそうな店長だ。   実際に行う業務は、 お惣菜の販売。     コロッケだけは、 注文が入った後にその場で揚げる作業。     接客ができれば、 そこまで難しい作業ではない職場だった。     田舎というのもあり、 お客様は優しい人ばかり。     僕は、何故かおばあちゃん受けが良いので、 そこは安心していた。   「コロッケを揚げるポイントを覚えるのはコツがありそうだな〜」 と思いながらも最初は洗い物を担当させてもらった。     簡単な作業だけど、 何時間もやるのは意外と大変。   そして無事初日が終了。 慣れない環境に気疲れはあった。     でも、 数ヶ月振りに充実感があった。 楽しかった!     自分の楽しみを見つけた気がした。 明日からもっと成長して頑張ろうと思った。   その日以降、 学校とアルバイトの毎日。     頑張ることを見つけてからは勉強にも熱が入るようになった。 全てが順調。 顔をイキイキしてたと思う。   時給は600円で最低賃金だったが、 お金以上の楽しみを見出していた。     経営の問題で3ヶ月くらい給料が遅れることがあったが、 そこまで気にならなかった。   周りはかなり騒いでいたが笑   バイトも週1,2回だった時期から、 週3,4回と増えていき、 週5,6回で最後の締めまで任されるようになった。 信用を勝ち取った気がして嬉しかった。   締めをやるようになって、 もう一つ嬉しい出来事が増えた。     余った惣菜を持ち帰れるのだ。     成長期の高校生にはたまらなく嬉しかった。 多い時ではコロッケ40個持ち帰ることも。   自分「はい、余ったコロッケ。みんなで食べよう」 母「こんなに!ありがとね」   家に持ち帰ると親が喜んでくれた。 喜ばれるのってこんなに嬉しいんだな。   時には、 学校にも持っていくこともあった。     そうすると、 一気に人気者に。 メチャクチャ喜ばれた。     噂が広まって、 違うクラスから休み時間にもらいに来る人も現れた。   人へ与えることの喜びをこの時覚えたのかもしてない。     そして、 この頃には心境にも大きな変化があった。   ・親への感謝 ・主体的に取り組むことの楽しさ ・与えると喜ばれ、人が集まってくる   親への感謝が生まれたのが1番大きかった。 今までは、やってもらって当たり前と思ってた。   ・ご飯あるのは当たり前 ・洗濯物洗ってもらうの当たり前 ・養ってもらうの当たり前   自分で稼ぐようになって初めて大変さを知った。 稼ぐってこんなに努力が必要なんだなって。   それからは、家の事を手伝うようになったし、 親にいばったりする事もなくなった。   コロッケ屋のバイトにも慣れてきた頃、 「もっと新しい事やりたいな〜」 と思うようになった。   そこで思いついたのが、新聞配達だ。     時給1000円で破格だし、 朝1,2時間でできる。   早速応募してやることになった。   1日のスケジュール
 4:00〜6:00 新聞配達
 8:00〜16:00 学校 
17:00〜22:00 コロッケ屋でバイト   それが当時のスケジュールだ。 我ながらタフ笑   新聞配達は朝5時〜6時の1時間。 (冬は雪が降るため4時起き)     約80件を自転車で回って配るという至って単純な作業。   たまに、1部新聞が余って、 80件を再度で周り直すトラブルもあったりした。     純粋に忘れてるときもあれば、 準備段階で1部多かったこともあった。   時間が少しでも遅れると怒る雷じいさんもいたり。 雪の日に自転車が転倒し、新聞が散々したり。 雨の日で新聞が濡れるトラブル。 笑顔で接してくれる方。   全てが良い経験でした。     新聞配達は、 部活を再開するギリギリまで続けた。   (高校2年の秋)   精神的に強くなったなと感じた。   ケガも完治し、 休み時間はバスケをして楽しめるようになっていた。     トレーニング室で筋トレも再開した。   ある日、 トレーニング室に行こうと思って廊下を歩いていた。     トレーニング室に行くには、 体育館の横を通る必要がある。     バスケ部が練習していた。 廊下にマネージャーがいたので話しかけた。   自分「お疲れー」 マネ「お疲れ!何してるの?」 自分「筋トレいこうと思ってさ」 マネ「そうなんだね」   他愛もない世間話。 数分くらい話していた時だった。     「こーじが戻ってきたぞ!!」   体育館からではなく、 後ろの廊下からだった。     慌てて僕は振り向く。 体育館のバスケ部メンバーも振り向く。   監督だった。     「戻ってきたんだな!!」 近寄ってもう一度言われた。     「え?どういう事?戻るなんて言ってないけど」     テンパってる自分をよそに、 監督が半ば強引に体育館に入れた。     続編はこちら。     https://blog-koji-fun.com/archives/307 続きを読む

【体験談】挫折を乗り越え栄光を手にした体験談を語ります〜Vol.1〜

バスケ

こんにちわ、こーじです。   今回は、 自己紹介でもお話しした、     ①16歳 大怪我でバスケ部を退部 ②17歳 1年振りに復帰するも挫折を経験     人生の転機になった体験談を語っていきたいと思います。     自己紹介では簡単な紹介だったので、 赤裸々にどんな体験をしたかをお話ししていきます。   初めて記事を読んで頂いてる方は、 こちらの自己紹介記事から読んで頂くとイメージが湧きます。     https://blog-koji-fun.com/profile       (高校1年生)     中学時代に痛めた膝も完治し、 部活動をスタートします。   入学した高校は、 県内でもトップクラスの強豪校。     公立なのにトレーニングルーム完備。 監督はプロの試合の審判もしてるライセンス保持者。   上手くなるにはもってこいの環境だ。   教室の窓を覗くと、 緑の牧場と馬が数頭 一面の青い海 自然豊かなど田舎です。   家から自転車で通う時も、 砂利の山道を通ってました。     街灯もなく、 テレビでよく使われる肝試しみたいな場所です。     逆に、 バスケに専念できる環境であることに感謝。   入学当初、 受験でなまりきった身体を戻すべく、 ひたすら外を走る毎日。     半年も動いてなかった身体にはかなりしんどい。   中学時代のマラソン大会では、 陸上部にも勝って1位になったことがある自分でもキツかった。 何度も吐きそうになった。   たまに、 海まで走り砂浜でトレーニングをすることもあった。     これがかなりの地獄とは知らず。 浮かれてる自分。   学校から海まで何キロあったかは忘れてしまったが、 5,6キロはあったと思う。     ここは、いつもと同じだったからさほど問題は無かった。 左を見るとキレイな海が広がっていて癒されたからだ。   なんとかゴールまで無事にたどり着き、 ひと休憩。   そう思ってたのも束の間、 「砂浜ダッシュを始める!」 とマネージャーの声が響いた。   「ん?砂浜ダッシュ?嘘だろ?」     心の中でメチャクチャ叫んだ。 強豪校なのもあり、 マネージャーは容赦ない。   実は、 砂浜ダッシュは想像以上にかなりキツイ。     サラサラの砂で踏ん張りがきかないため、 通常の数倍負担がかかる。 しかも、平坦でないから余計だ。   「ゼエゼエ...」 「腰が痛い...」   「サボるなー!」 「ダッシュダッシュ!」   マネージャーの容赦ない声が飛ぶ。   ブランクある身体にはこたえまくった。 それでもなんとか全項目終了。     昼間というのもあって、 汗ビショビショ。   「やっと終わったー!」 と思ってたが、ふと思ったことがある。   「学校まで5,6キロ走って戻らないといけないじゃん...」 と。   下を見ると、 足がガクガクいってる。     もうまともに走れる状態ではない。 でも、走って戻らなければ家にも帰れない。 究極の選択。 というか選択の余地なし。   「休みたい...」 という思いを抱きながら気合で走り出す。     自分の足が言うことを聞かない。 自分の足じゃないみたいだ。   40分後、   フラフラになりながらも学校に到着。     もう動けない。 歩けない。 バタンっと床に倒れ込んだ。   高校の部活はこんなにもハードなんだと感じた。 強豪校が強い所以を垣間見た気がする。 今だから正直に書くが、 「強豪校に入って上を目指したい!」 と思ってこの高校には入っていなかった。 家から1番近く、 勉強をしたくなかったからだ。     本当は、1つ上の高校でも十分狙えたが、 勉強したくないのを理由に、 バスケという言い訳を使ったのだ。   これは、 未だに親も知らない事実だ。   バスケも好きだったが、 小・中学校は環境に恵まれず負け癖がついていた。 勝っても1,2回戦止まり。     「絶対勝ってインターハイ行くぞ!」 なんて気持ちはこれっぽっちもなかった。 この時は、 練習をやらさせてる感でやっていた。 義務感。     受け身だから、 工夫しようとかもなかった。 入学してから3ヶ月間はこの繰り返しだった。 授業の延長くらいの感覚。     毎日フラフラになりながら家に帰宅していた。 ストレッチもまともにせず布団についた。 朝練も仕方なく参加。 根が真面目だったので、 言われたのはこなしていた。   今の自分が読み返しても、 こんな奴がうまくなれる訳がない。     でもそこそこできていた。 それは、運動神経が人より優れていたからだ。 スポーツなら基本的になんでもすぐできた。 そこまで努力もしなくて良かった。   それが、 まさかの悲劇を招いていくとはこの時はまだ知らず。 7月某日     「痛っ!!!」   腰に激痛が走った。 メチャクチャ痛い。 授業中にイスに座っていられないくらい。 家に帰ってもうつ伏せでないと寝られない。   その時は何が起きたか全く分からなかった。 部活中に怪我をした訳ではなかったからだ。   原因も分からないまま、 痛みをごまかして練習を続けた。     全然痛みが消えない。 日に日に痛みが増していく。     そして、 とうとう歩くのでさえ苦痛になった。 練習どころではなくなったのだ。   原因が判明。     中学時代に痛めた膝を無意識にかばったせいで、 腰に負担がかかってしまったのだ。   バスケが出来ない状況になり、 すごく後悔した。     「あの時ケアをきちんとしていれば... 意識を変えてたらこんな事にはならなかったのに」   監督に相談した。 バスケ部を続けるかどうか。 「マネージャーをやらないか?」 監督なりの優しさ。   自分「ありがとうございます。でも、バスケやれないのに見てるのは辛いので退部します」 監督「そうか。。。」 自分「すみません」 監督「いつでも戻っておいで」   僕は辞めることを選んだ。 涙が止まらなかった。   バスケが本当に好きだったことに、 失って初めて気付いたのだ。   失ってからではもう遅かった。 バスケが出来る状態の身体ではないのだから。   仲間にはなんて伝えて退部したかは覚えていない。 家に帰ってからの記憶もない。 そこから立ち直るまでの記憶が全く思い出せない。 それくらい戦意喪失しきってたのかもしれない。 時間にしてどれくらいだろうか。。。 (数ヶ月後)   「こーじって時間あったりする?」     友人の一言が、 僕の第2の人生を歩むきっかけとなる。 続編はこちら。     https://blog-koji-fun.com/archives/302 続きを読む

【体験談】挫折を乗り越え栄光を手にした体験談を語ります〜vol.3〜〜

バスケ

こんにちわ、こーじです。   前回の続きを話していきます。     https://blog-koji-fun.com/archives/302       (前回の続き)   監督「よく戻ってきてくれたな」     部員達は拍手で出迎えてくれる。   実は、 こうしてきちんと話すのは1年振りである。     目の前で何が起こってるか分からず、 言われるがままに行動する。     「ん?これって戻る流れになってる?」 と心の中で思いながら。   部員達「フリースロー打ってみなよ!」 自分「え?今?」 部員達「そう!」 自分「絶対入らないよ。1年以上やってないし」 部員達「良いから良いから」   練習中にも関わらず、 何故かフリースローをやることになった。 まあ、案の定リングにすら届かなかった笑     赤面していると、   パチパチパチパチパチパチパチパチ(拍手)   監督「これでバスケ部一員だな」   強引なバスケ部復帰笑 しかも想像してない意外な形だった。 ドラマみたい。   意外と嫌な気はしなかった。 むしろ心のどこかで望んでいたのかもしれない。 バスケ部に戻りたいと。 青春をしたいと。   監督の強引な誘いが無ければ戻っていなかっただろう。 プライドが邪魔して。   後になって知るのだが、 監督はいつでも戻ってこれるように休部届扱いにしてくれていたらしい。 監督の優しさに涙が溢れた。   こうして僕は1年振りにバスケ部に復活することになった。 部活に専念するためにバイトも全て辞めた。   家に帰ってからはワクワクしっぱなしだった。 同時に不安もあった。     1年以上身体を動かしてない事への不安。 ついていけるのかな。   そして予想は的中する。   1年前は余裕でこなしていた練習に全くついていけない。 身体が全く動かないのだ。 自分の身体じゃないみたい。   案の定、 練習開始して30分もしないでダウン。     過呼吸状態になり休憩。 横に倒れて30分以上は動けなかった。     悔しさが込み上げた   1年間のブランクは、 想像以上だった。     この時から、 「こんな自分カッコ悪い。辞めたい」 心の声が聞こえてきた。   日が経つに連れてどんどん大きくなる。   バスケ部の誰1人として勝てない。 運動神経が良かったとは到底言えない状態だった。 僕のプライドはズタズタだった。   1年前の自分だったら間違いなく辞めていただろう。   しかし、 僕は成長していた。     「ここで辞めたら人生後悔する。負け癖がつく。乗り越えて語れる人生にしよう」     そう誓ったのだ。   社会に出て、 働く経験をしたことで成長していた。     沢山怒られ、改善し、 成長してきた1年間が心を強くしていた。 この1年間は無駄ではなかった。   当時は、 意味もなく嫌なことを忘れるためにやっていたバイト。 こんな所で繋がるなんて誰が想像していただろう。   そう決めてから、 どうやったらみんなを追い抜けレギュラーを獲得できるか考えた。   強豪校のレギュラーを取り返すのは、 相当な努力が必要な事はわかっていた。   自分で考えてできることを全部あげてみた。     実際に取り組むと決めた事、 ・練習後、近所の公園で走り込みと基礎練習2,3時間 ・朝6時から朝練習、昼休みシュート練習 ・テスト期間中、監督にお願いし、特別にトレーニング室を開放頂き練習 →1週間は部活がないので、追いつけるチャンスだと思った ・頭で考える練習を取り入れる   毎日バスケ三昧。 寝る以外は全てバスケだ。   親からはかなり心配された。 うちの母親は息子想いでとても優しい。 それでも、僕は心配を押し切ってやることを決めていた。   退部という楽な方に逃げてしまったことに後悔していたからだ。     真剣に考え出した結論だったし、 将来の身体のことを考えてだから逃げたとは思ってなかった。   それでも、その後に残ったのは、 辛いことから逃げてしまった自分への後悔。 負け癖根性。   気持ち1つで人はいくらでも強くなれる。 そう思った。     実際、 引退するまで毎日続けた。   満身創痍で、 練習にもついていけてない状態だったが、 毎日充実していた。 考えてバスケする事が楽しかった。 1年前の自分では想像出来ないだろう。   みんなとの差はどんどん縮まっていった。   走れるようになった。 シュートが入るようになった。 自信がついてきた。 試合に出れるようになった。 意見を言えるようになった。   復帰してから半年、 最上級生になってシックスマン(6番手)まで勝ち取った。     残念ながら、 1試合走れる体力までは戻せなかったのが大きかった。 体力は継続が大事。   この頃には、 1年前の負け癖根性がついた自分はいなかった。     自信に満ち溢れ、 イキイキしていた。     乗り越えたことで、 勝ち癖根性に変わっていた。   バスケ部に復帰して、 たった半年間の出来事だったが、 僕にとっては人生の中で最も濃い時間だったと言える。   この半年間があったからこそ、 後に実業団に入り、 仙台大会ベスト4を勝ち取れたのだ。 この経験を通して、 「青春は人生においてかけがえのない時間であり、人を飛躍的に成長させる」 と体験できた。   僕は、 大人になってもいつまでも青春を大切にしていきたい。     沢山の人に、 「青春」を感じてもらえるようなキッカケを提供していこうと思う。   この経験が、 1人でも多くの人の背中を押せると信じて。           ------------------------------------ ✅ 自己紹介はこちら   https://blog-koji-fun.com/c-shokai     ✅ 実績   ・1年弱で0→600人規模のコミュニティに拡張     ・仕組みを構築し、月3時間のみの作業で収益20万円運営可能。  月15〜20回開催、総勢300人以上にご参加頂いております。 ・20カ所以上のコミュニティに参加し、リピートしたくなる理由を研究 ・運営者18人在籍。全員ボランティアでご協力頂いております。 ・15歳未経験者〜50代経験者まで幅広くのメンバーが在籍。 ・無料でプロ講師をお呼びしてのスクール開催  続きを読む