【体験談】挫折を乗り越え栄光を手にした体験談を語ります〜Vol.1〜

こんにちわ、こーじです。

 


今回は、

自己紹介でもお話しした、

 

 

①16歳 大怪我でバスケ部を退部
②17歳 1年振りに復帰するも挫折を経験

 

 

人生の転機になった体験談を語っていきたいと思います。

 

 

自己紹介では簡単な紹介だったので、

赤裸々にどんな体験をしたかをお話ししていきます。

 


初めて記事を読んで頂いてる方は、

こちらの自己紹介記事から読んで頂くとイメージが湧きます。

 

 

自己紹介〜生い立ちを全てお話しします〜

 

 
 

(高校1年生)

 

 

中学時代に痛めた膝も完治し、

部活動をスタートします。

 


入学した高校は、

県内でもトップクラスの強豪校。

 

 

公立なのにトレーニングルーム完備。
監督はプロの試合の審判もしてるライセンス保持者。

 


上手くなるにはもってこいの環境だ。

 


教室の窓を覗くと、
緑の牧場と馬が数頭
一面の青い海
自然豊かなど田舎です。

 


家から自転車で通う時も、

砂利の山道を通ってました。

 

 

街灯もなく、

テレビでよく使われる肝試しみたいな場所です。

 

 

逆に、

バスケに専念できる環境であることに感謝。

 


入学当初、
受験でなまりきった身体を戻すべく、

ひたすら外を走る毎日。

 

 

半年も動いてなかった身体にはかなりしんどい。

 


中学時代のマラソン大会では、
陸上部にも勝って1位になったことがある自分でもキツかった。
何度も吐きそうになった。

 


たまに、

海まで走り砂浜でトレーニングをすることもあった。

 

 

これがかなりの地獄とは知らず。
浮かれてる自分。

 


学校から海まで何キロあったかは忘れてしまったが、
5,6キロはあったと思う。

 

 

ここは、いつもと同じだったからさほど問題は無かった。
左を見るとキレイな海が広がっていて癒されたからだ。

 


なんとかゴールまで無事にたどり着き、

ひと休憩。

 


そう思ってたのも束の間、
「砂浜ダッシュを始める!」
とマネージャーの声が響いた。

 


「ん?砂浜ダッシュ?嘘だろ?」

 

 

心の中でメチャクチャ叫んだ。
強豪校なのもあり、

マネージャーは容赦ない。

 


実は、

砂浜ダッシュは想像以上にかなりキツイ。

 

 

サラサラの砂で踏ん張りがきかないため、

通常の数倍負担がかかる。
しかも、平坦でないから余計だ。

 


「ゼエゼエ…」
「腰が痛い…」

 


「サボるなー!」
「ダッシュダッシュ!」

 


マネージャーの容赦ない声が飛ぶ。

 


ブランクある身体にはこたえまくった。
それでもなんとか全項目終了。

 

 

昼間というのもあって、

汗ビショビショ。

 


「やっと終わったー!」
と思ってたが、ふと思ったことがある。

 


「学校まで5,6キロ走って戻らないといけないじゃん…」
と。

 


下を見ると、

足がガクガクいってる。

 

 

もうまともに走れる状態ではない。
でも、走って戻らなければ家にも帰れない。
究極の選択。
というか選択の余地なし。

 


「休みたい…」
という思いを抱きながら気合で走り出す。

 

 

自分の足が言うことを聞かない。
自分の足じゃないみたいだ。

 


40分後、

 


フラフラになりながらも学校に到着。

 

 

もう動けない。
歩けない。
バタンっと床に倒れ込んだ。

 


高校の部活はこんなにもハードなんだと感じた。
強豪校が強い所以を垣間見た気がする。


今だから正直に書くが、
「強豪校に入って上を目指したい!」
と思ってこの高校には入っていなかった。


家から1番近く、

勉強をしたくなかったからだ。

 

 

本当は、1つ上の高校でも十分狙えたが、

勉強したくないのを理由に、

バスケという言い訳を使ったのだ。

 


これは、

未だに親も知らない事実だ。

 


バスケも好きだったが、

小・中学校は環境に恵まれず負け癖がついていた。
勝っても1,2回戦止まり。

 

 

「絶対勝ってインターハイ行くぞ!」
なんて気持ちはこれっぽっちもなかった。


この時は、

練習をやらさせてる感でやっていた。

義務感。

 

 

受け身だから、

工夫しようとかもなかった。


入学してから3ヶ月間はこの繰り返しだった。
授業の延長くらいの感覚。

 

 

毎日フラフラになりながら家に帰宅していた。
ストレッチもまともにせず布団についた。


朝練も仕方なく参加。
根が真面目だったので、

言われたのはこなしていた。

 


今の自分が読み返しても、

こんな奴がうまくなれる訳がない。

 

 

でもそこそこできていた。
それは、運動神経が人より優れていたからだ。


スポーツなら基本的になんでもすぐできた。
そこまで努力もしなくて良かった。

 


それが、

まさかの悲劇を招いていくとはこの時はまだ知らず。




7月某日

 

 

「痛っ!!!」

 


腰に激痛が走った。
メチャクチャ痛い。
授業中にイスに座っていられないくらい。
家に帰ってもうつ伏せでないと寝られない。

 


その時は何が起きたか全く分からなかった。
部活中に怪我をした訳ではなかったからだ。

 


原因も分からないまま、

痛みをごまかして練習を続けた。

 

 

全然痛みが消えない。
日に日に痛みが増していく。

 

 


そして、

とうとう歩くのでさえ苦痛になった。
練習どころではなくなったのだ。

 


原因が判明。

 

 

中学時代に痛めた膝を無意識にかばったせいで、

腰に負担がかかってしまったのだ。

 


バスケが出来ない状況になり、

すごく後悔した。

 

 

「あの時ケアをきちんとしていれば…

意識を変えてたらこんな事にはならなかったのに」

 


監督に相談した。
バスケ部を続けるかどうか。


「マネージャーをやらないか?」
監督なりの優しさ。

 


自分「ありがとうございます。でも、バスケやれないのに見てるのは辛いので退部します」

監督「そうか。。。」

自分「すみません」

監督「いつでも戻っておいで」

 


僕は辞めることを選んだ。
涙が止まらなかった。

 


バスケが本当に好きだったことに、

失って初めて気付いたのだ。

 


失ってからではもう遅かった。
バスケが出来る状態の身体ではないのだから。

 


仲間にはなんて伝えて退部したかは覚えていない。
家に帰ってからの記憶もない。
そこから立ち直るまでの記憶が全く思い出せない。
それくらい戦意喪失しきってたのかもしれない。
時間にしてどれくらいだろうか。。。




(数ヶ月後)

 


「こーじって時間あったりする?」

 

 

友人の一言が、

僕の第2の人生を歩むきっかけとなる。



続編はこちら。

 

 

【体験談】挫折を乗り越え栄光を手にした体験談を語ります〜vol.2〜

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